こんにちわ、ひかるです!
今日は、4号機時代にスロットで年間1000万を稼いでいた友人のことを書いていこうと思います。

4号機後半はパチスロバブルだった

私が学生だった頃は4号機の後半でした。

4号機の後半って今とは比較にならないくらいパチスロが大人気でした。

私の周りもちょっとヤンチャな人はほとんどがパチスロをやったことがあるような状況です。

機種でいうと、初代吉宗や初代北斗などが大ヒットしていたころです。

そんな学生時代だったので、学校を卒業してから進学・就職せずにスロプロになる人が続出しました。

私の周りでも5人ほどいましたね。

話を聞いてみると、彼らの年間収支は人によってかなり幅があるようでしたが、群を抜いて収支が良いのが友人Aでした。

友人A以外は長くはまることなく1~2年でスロプロ稼働を引退したと聞きました。

年収1000万の友人A

友人Aはともかく立ち回りがうまく、彼とパチンコ屋で会うといつも何箱も出している印象でした。

彼は口がうまく色んな人を取り込むのがうまかったです。

打ち子を雇って、打たせていたりもしたようです

学生時代にそんな甘い蜜を吸ってしまった友人Aは進学も就職もせずにそのままスロプロに流れ込みました。

 

この収支なので、夜遊びもかなり激しく、夜の店のゴールドカードを持っているだとかそんな自慢話をよく耳にしました。

1000万プレイヤーになると危ない人も寄ってくるらしい

友人Aがスロプロとして絶頂だった頃、その界隈では有名になっていた彼はある日

「兄ちゃん、いつも出してるよね。俺らの仲間にならないか?」

 

と、明らかに恐い方からスカウトされたこともあるらしいです。

さすがに、丁重にお断りしたらしいです。

5号機時代になってから

そんな美味しい時間は長くは続かず、友人Aのパチスロ収支は激減しました。

 

そうです。

4号機の終焉です。

5号機が出始めたばかりの頃、低スペックの台ばかりで、ハイエナが出来る機械もありませんでした。

立ち回りはスロプロ界隈でも有名だった友人Aでも5号機登場の時代の波に太刀打ちできませんでした。

ついに彼はスロプロを引退することになりました。

その時、彼がスロプロを始めてから既に5年の月日が流れていました。

友人Aがスロプロを引退してから

スロプロを引退してからの彼は社会復帰のリハビリとして、新聞配達のバイトをしばらくやっていました。

その後、彼と連絡をまったくとっていなかったため、いま彼が何をしているのか気になって、この記事を書く直前に友人Aの知人に聞いてみました。

 

すると、友人Aは色々とバイトを転々としているけど、どこもうまく行っていないとのことでした。。

まとめ

やっぱり一度スロプロにどっぷりはまると、その後は中々厳しい現実が待っているようです。

ちょっと前に私が書いたこの記事↓↓↓は友人Aを見て感じる事があったからです

スロプロの本音、スロプロの年収、スロプロにはなるな!

 

正社員になるのは難しいかもしれませんが、

資格さえあれば出来る仕事などであればいける気がします。行政書士だったり。それが難かしければトラックの運転手とか。

 

厳しい中にもきっと光はあるので、彼の今後の奮起に期待しています。

 

考え方次第で、何歳からでも、何度でもやり直しがきくことを証明して欲しい。

彼を陰ながら応援したいと思います。


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